諸行無常マンの変化ブログ

完璧主義者だった人間がモノゴトヒトを捨てたり手放したりして変化した記録

他人と比べる必要はない

自分より、あいつはモテる。

自分より、あの人はお金持ち。

自分なんて、あの人より経験が少ないから、使えない。

自分の努力なんて有名人のあの人と比べたらアリと恐竜のようだ。

あの人は、自分より気が利く。

 

とまぁ、いろいろ並べてみました。

 

自分と、他人を比べてしまうこと、ありませんか?

 

しかし、それは、本当に無駄なことばかりです。

つまり、比べる必要はないです。

 

僕も、よく人と比べてばかりいました。

恥ずかしさなどを捨ててここに書きますが、比べるどころか、見下してもいました。

最悪中の最悪です。

 

では、なぜ比べてしまうのだろう?

 

それは、人と比べることで、「自分の価値を見出す」からです。

逆に言えば、人と比べること、それだけでしか価値が出ないと勘違いしているのです。

 

価値というのは、「人それぞれ」違います。

 

例えば、今日「ジャスティンビーバーが絶賛する新作のナイキのシューズ」の発売日だとします。

つまりは、新作のナイキスニーカーです。

 

ある人はこう言う。

「あのジャスティンが履いてるの!プレミアだわ!これはインスタ映えだわあ」

ある人はこう言う。

「これは、メルカリやヤフオクに転売できる逸品だ。5年くらい保管しよう」

また誰かが言う。

「こりゃ最高だ!今度俺のマイメンたちに自慢してやるぜえ!かっけえだろってな!」

また別の人が言う。

「高っ!俺はナイキは従来のエアフォースでいいわ!シンプルイズベスト!」

また誰かが言う。

「俺はアディダス信者だからよぉ、興味ねえんだよなぁ。」

電車で朝サラリーマンがつぶやく

「俺は呑むのが好きだし、普段からスーツだから、こんな消耗品いらねえなあ」

 

こうやって、一人ひとりキャラクター設定にして見るとわかると通り、

「価値観」って違うんだなと感じます。

 

つまりは、「他人」と「自分」というのは、価値が違うし、価値観が違うし、それこそ身長も体重も、身体の大きさも、筋肉も胸もお尻も足の大きさ、手の大きさ、目の色、髪の毛の色、体毛の濃さ、鼻の高さ、匂い、髪の長さ、運動能力、好きなもの、嫌いなもの、生まれたところ、生まれた時間、性別、睡眠時間の長さ、食べるご飯の量や回数、アレルギー、回復する力、メンタルの強さ、性欲、排便や生理の頻度、、、etc

もう挙げればキリがありません。

 

そうなんです。人それぞれこのような、パラメータが違うのです。

 

ドラクエとかファイナルファンタジーのような世界でいえば

「魔法使い」「剣士」「格闘家」「薬剤師」「策略家」「猛獣使い」等々。

たくさん、役職もあるし、向き不向きがあるし、使命も違います。

 

ですので、「あの有名人のようになりたい!」といっても、その人自身になることは絶対にできません。

 

しかし、我々は、「近づくことが出来る」

 

それと同時に「自分を強くすることができる」

 

それはどういうことかというと、「昨日の自分」や「1年前の自分」よりも成長できるということ。

 

人と比べると、生活自体が違います。参考にしたり、良いところを取り入れることは重要なことですが、生活そのものパクって真似しても、うまくいかない事も多いのです。

 

なぜなら、先ほども書きましたが、「それぞれパラメータが違うから」です。

 

ある人にとっては、「睡眠3時間で仕事をこなせるよ!」

ある人にとっては、「食事は1日1食!これで充分だ!」

ある人にとっては、「性欲が凄まじくて、1日3回はしないと集中力が。。。」

 

このような人は現実世界にもネットの世界にもたくさんいます。

 

僕自身は、「誰かになりたい」というおもいが結構ありました。

 

しかし、以上の様な事を理解できたとき、

「俺は、死ぬまで俺という人間なんだ。この俺を好きになってくれる人もいれば、嫌いになる人もいるんだ。みんなもそうなんだ。ファンがいてアンチがいる。なら、俺らしく自分を愛してあげて、成長して、自分が見たいことやってみたいことやってみよう。人と比べず、自分が出来たこと嬉しかったことを数えていこう。」

と思えるようになりました。

 

もし、この記事を読んで一人でも共感してくださる方や、自分を責めてしまいがちな方に届けば幸いです。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。