諸行無常マンの変化ブログ

完璧主義者だった人間がモノゴトヒトを捨てたり手放したりして変化した記録

馴れ合いをやめてから、人生は楽が8割、辛さ2割みたいな感じになった。

馴れ合いをやめてから、以前よりも人生がだいぶよくなった。

 

多分そこらへんの人より、良い生活とか自由度はまだまだ低いんだけど笑

 

でも、余計な時間を使わなくなった。

 

無駄な集合時間とか、無駄な呑み会とか。

 

それって、正直、経験すればするほどいろんな人と出会えるし、ランダムが発生して何かが起きることもある。

 

ただ、そういう呑み会とかって、実はただの時間の切り売りなんだよね。

 

「この3時間、上司と飲めば、機嫌を取れる」

みたいな。

 

あえて狙って、出世を狙って接近してうまく対話してどんどん成り上がる作戦とかなら、まぁこれは素晴らしい一つの作戦だ。

 

だけど基本的には、もうただのマウントの取り合いとか、ただの自慢話とか。

 

それで終わる。

 

疲労と睡眠不足のうえからアルコールまみれになってお金も流れていくという、なかなか恐ろしい流れ。

 

もちろん、呑み会も千差万別なので、まじで大事な人との出会いもあれば、そんなマウント大会ではない濃い対話の時間を設ける天才たちもいる。

 

そんで馴れ合い大会をやめると、どうなるか。

 

めっちゃラクになる。

 

馴れ合いって、その時はたのしいけど、それだけなんだよね。

 

楽しいというと、少し変なんだけど、

 

「まっ、家で何もしないよりこうしてダベってるのは悪くねえなあ」みたいな。

 

そうすると、楽しさもあるんだけど、あとで辛さが襲ってくる。

 

金がないとか、酒飲んでしんどいとか、上司がどうのとか、一緒の会議であいつがどうとか。

 

実は何も変わってないだけ。

 

悩みを解決するとか、何かをやるとか、自分がさらに行動をするとか、そういう風に繋がることってあまりなくて、

 

基本的には

「すごい」

「へ~」

「そうなんですね」

みたいなただただ話を聴いてるだけで、馴れ合いは終わる。

 

馴れ合いをやめると、一人の時間が増える。

 

一人の時間が増えると、嫌でも自分の弱さと向き合う。下手すると、自分の弱さを露出できなくて、ずっと脳内で苦しむ。

 

だけどその脳内の苦しみは、紙やスマホ、pcにアウトプットする。

 

笑われてもいいし、バカにされてもいい。

 

でもそうすると、意外と自分の苦しみはしょせんその程度で、疲労とか睡眠不足とかではないので、

 

また元気になる。

 

実は孤独というのは、辛いようにみえるけど、それ以上に楽しいことがある。

 

もちろん、この辛さと向き合えないと、また無駄なことをしてしまう。

 

どの時代も、孤独なやつは、強い。

 

自分も毎日、孤独のなか生きてるが、まだ甘いほう。

 

多分、もっと孤独になったときに、絶望して、そして希望に変わると思う。

 

まっ、特に意味はない記事だけど、おしまい。

 

読んでくれてありがとうございました。

 

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

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  • 作者:堀江 貴文
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