諸行無常マンの変化ブログ

完璧主義者だった人間がモノゴトヒトを捨てたり手放したりして変化した記録

適当に生きる事はとても大事なこと。適当で、適度、敵はノーってことでいこう。

どうも

 

本題だけど、みんな適当に生きてますか?

 

僕は適当に生きてます。だけど、まだまだ真面目です。

 

だから、適当にやってても、「まじめだね」って激励されちゃいますてへぺろ

 

で、適当ってなんだ?って思った。

 

[名・形動](スル)
 ある条件・目的・要求などに、うまくあてはまること。かなっていること。ふさわしいこと。また、そのさま。「工場の建設に適当な土地」「この仕事に適当する人材」
 程度などが、ほどよいこと。また、そのさま。「調味料を適当に加える」「一日の適当な仕事量」
 やり方などが、いいかげんであること。また、そのさま。悪い意味で用いられる。「客を適当にあしらう」「適当な返事でごまかす」

適当(テキトウ)とは - コトバンクから引用。

 

まぁ、要するに、うまくあてはまること、とか、ほどよい、とか、いいかげんとか。

 

これ最強な言葉だよってようやく気付いた。

 

何故なら、これって、どの場面でも使えちゃう。

 

そんで、人生もそれなんだよね。

 

勉強して筋トレして他人のために奉仕したり、大事な人のために働いたり、人生をよりよくするために面倒なことをやったり。

 

これって、素晴らしいこと。

 

素晴らしいけど、だるいことってある。

 

今日は、他人に気を遣いたくないとか。

明日は、何もしたくないとか。

今日は勉強したりトレーニングしたくないとか。

 

そうなんです。

 

適当でいいんです。

 

適当は、だらしないと思われがちだけど、ほどよいんですよ。

そして、ほどよいだけじゃなくて、うまくはまってるんですよ。

 

まじで適当すぎwwww

 

この記事も適当に書いてる。だけどそんなもんだなって。

 

今日は週に一回の労働の日なんだよね、おれ。

労働というと、少し言葉が重いようにみえるけど、つまりはバイト。

まぁバイトだろうがなんだろうが労働だ。

 

俺は、「だるい」とか言わないんだよね。だって自分で選んだから。

 

そんで、明日とか明後日とか、というか今日の午後も俺はこれから働くんだよね。

 

理由?

 

適当だよ。

 

会社からすれば「きてくれ!たのむ!無理ならいいや!」って感じ。

俺は別にそれがどうとかじゃなくて、じゃあ「適当に明日とかもいいすか」みたいな。

 

そんで、少し分かったんだよね。

 

自分は本当に9割くらい手放しをしてきて、結局は自分の無駄な悩みとか考えごととか、そういうのが真面目だったんだよね。

 

でも、俺はすでに学んでいたんだよね。

 

「こういう考え方」が大事。

とか

「これをやると、メンタルにいい」

とか

「今儲かる仕事はこれらだよね」

とか。

 

これは別に傲慢とか先行者とかそういうカッコイイ話ではなくて、だれでもスマホで学べることなんだよね。

 

俺が考え事してようが、悩んでいようが、筋トレしてようが、スマホいじってようが

 

世界は動いてる。

 

てことは、あとは適当でいいかもねってこと。

 

適当の意味はさっきの通りだ。

 

・うまくはまること

・ほどよい

・いいかげん

 

てことは、適当に生きるって、実は、めっちゃほどよくて、そんで適当にハマればいい。

 

つまり適当。

 

この後おれはまた会社へと戻ります。今は自宅でpcでブログを書いています。

 

自分の労働って、会社に利益があって、そしてその余った分を、従業員とか俺に配るんだよね。

 

て考えると、

 

とりあえず、適当に、今いる場所で適当に働いて、適当に生きてるだけでも儲けもんというか。

 

嫌ならやめればいい。

適当でもOKならところなら、適当に過ごせばいい。

 

もちろん、俺の場合適当だから、うまくはめこんだり、ほどよくやったり、いいかげんな時もある。

 

てかんがえると、

 

適当でよくね?

 

世間では、適当=ひどい みたいな呪いに洗脳されてるけど、実は意味が深い。

 

その上で、適当でいいんじゃねっていうワード、フレーズを使うとどうなるか。

 

「都合よく考えていいんだなぁ」って少しはラクにならない?

 

世間では 都合よい=わがまま みたいな呪いに洗脳されてるけど、実は違う。

 

自分が都合よく生きれないって、だれの人生生きてんだよって話。

 

自分の都合で生きると何が起きるか?

 

めっちゃラクになる。

 

めっちゃラクになってる自分がいると、周りの人たちもラクになる。

 

何故なら、都合が良いから。

 

ルールとか意味不明な常識とか呼ばれるものとか、逃げるのはいけないとか、適当はダメとか、まじめが大事とか、

そういうのは、その制度やルールをつくった大人たちに

 

都合が悪い。

 

だけど、それを逆転の発想をすると

 

「あ、ルールってただの空論なんだな」みたいな。

 

だから適当に生きるというと、少しださいかもしれないけど、実はめっちゃ健康になるし、自分が好きになる。

 

適当に生きよう。

 

適当には意味がたくさんあるから、自分が好きな意味で生きよう。

 

頑張らなくていい。成功方法とかも学ばなくてもいい。自分が適当に好きな事をして、適当に投資して、適当にトライして、適当に失敗して、

 

それを繰り返すと、たぶん、適当に物語の展開があると思う。

だって、適当に生きてるからね。

どうなるか知らないし、それは誰にも分からない。

人生は自分しか体験できないし、そして自分の意志で選択をする。

その選択すらも、適当にしたら、もはや人生そのものが適当に最高になる。

小さい枠に収まろう。ではない。

無限大なら大きい枠のなかで適当に飛んで跳ねて適当に向かってる方向を見よう。

どうなるかなんて知らないし、わからない。

 

自分もこれからまた午後の労働です。

 

適当にやるよ。