諸行無常マンの変化ブログ

完璧主義者だった人間がモノゴトヒトを捨てたり手放したりして変化した記録

「当たり前」が当たり前じゃない。

「当たり前」が当たり前じゃない。

 

多分、みんなそれを聴いたことあるだろう。

聴いたことあるだけで、実感していない人があまりにも多い。

 

俺は2018年にたくさん病気した。そして仕事を休み、毎日朝晩、病院に行き、点滴していた。

 

点滴をすると、身体がラクになる。今回は病気の話は端折らせていただくが、「病状が辛く苦しい」だから点滴をする。

 

先に言っておくが俺は恨みも妬みも何もない。ただただ、感謝をしている。

それは何かというと。

 

また点滴しにいこうと思い、点滴をしたところ。

途中で具合が悪くなった。なんというか、心臓の音がして、なんか寒くて、意識が遠のいて。瞼が垂れてきて、眠いというか。呼吸も浅くて、もうこのまま横になってしまうというか。

 

声を振り絞って、ナースさんに声かけて、ベッドに運ばれて、そして点滴の針を抜いた。

 

どうやら、うまく刺さってなかったようだ。

 

その時俺は、本気で「ああ、眠いなぁ。このまま眠れば終わるんだ」と体感したし、心の中でそう話していた。

 

あんとき、ひと声かけれて、俺は生きた。本当に、真っ暗だったよ。

 

その時に俺は感じた。

 

「当たり前」が当たり前じゃないんだなって。

 

堀江貴文さんの好きな言葉は「諸行無常」だ。

 

つまり、「常にその状態ではない」ってこと。

 

だから、今、貴方が、君が辛いことがあったとしても、それは永久ではない。

 

逆を言えば、いつまでも「栄え続けること」ってのは難しいということでもある。

 

だから、恐れず、今日という、「いま」ということに全力で生きていいんだ。

 

明日、車にハネられるかもしれない。これは恐怖心を煽っているのではなく、本当の話。

 

俺は本をたくさん手放したりすることが怖かった。だけど、それは人と同じ。

 

また違う本に出会えれば、今よりももっと楽しい人生になるかもしれない。

はたまた、くだらない本に出合うかもしれない

 

しかし、それでも人生は続く。