始まったばっか限りある時間。俺はいま生きてることが自慢。
これはラッパーのKOHHさんの『トメラレナイ』という曲の最後のほうに出てくるリリックです。
僕はKOHHさんのリリックが本当に大好きです。
というか、結局人生を激変させたり、自分らしく生きてる人って、素直であり実はめっちゃ読書家みたいな。
KOHHさんの曲やBADHOPさんのリリックを聴いてると、やはり堀江貴文さんやアドラー心理学と共通する考えた方や生き方をしてるなって思います。
もちろん、それぞれでバックボーンとか違うので、一括りにするつもりは一切ないです。
ただやはり共通するのが、
- いまここを生きる
- 過去は存在しない、そして未来も
- シンプルな決断
- 余計なものは捨ててきた
いろいろ挙げるとキリがないけど、本当に書物や音源中のリリックからこういうフレーズを聴くことがある。
これって、本当はみんなも持ってることなんですよね。
生まれた瞬間から、荷物は持ってないし、子どもは過去よりも、今を楽しんでる。
これが実は凄いポイントで、これを意識して、取り戻さないと、
実は楽しいことやワクワクすることに出会いずらいなとおもう。
一見すると「え、バカじゃん」となるかもしれないですよね。
だけど、これこそがシンプルであり、ベストだと思います。
何故なら、過去は過去で、すべての人たちはまた未来へ向かって今を生きてるからです。
過去にどんなにカッコイイ事や自慢をしても、今を生きてる人や、そしてこれから生まれてくる人たちにそれを自慢しても
「ふーん」って感じです。
あ、もちろん「すげー」と言ってくれる人もいます。
でも、それは過去の功績であり、過去の人の話なんです。
実績は大事だけど、過去の栄光にしがみついて、今が衰弱してたら、意味がないよねって話なんですよね。
それは今ITやテクノロジーの進化で、更に加速しましたね。
いまでは無人コンビニとか、自動運転とか、自動配達とか、ドローンで配達。
とか、そういう新しいエネルギーが生まれてきています。
過去には、それは人力でしたね。今ももちろんまだまだ人力です。
だけど、それらも、過去となり、今や未来には違うエネルギーにとって代わられます。
携帯電話もそうですよね。
小学校の教科書に出てくる電話って、超でかい黒いやつだったのに、
それが進化してポケベル、PHSとか、そしてガラパゴスケータイ。
そして今ではスマートフォン。
そしてそのスマートフォンはPC化してきて、もはやRAMとかROMが凄すぎてそこらへんの低スぺなんて目じゃないですよね。
そしてスマートフォンが、今ではスマートウォッチ(アップルウォッチ)とかGoogleグラスとかでも代替できそうな感じになってきてますよね。
最近だと、コンタクトレンズにデータ埋め込んだやつとか出てきましたよね。
多分、そのうち、スマートフォンという「フォン」はなくなって、ほかの物でも通信したりラインしたりGoogleクロームが使えたりするんだろうなと思います。
この記事で、何が言いたいかというと、
俺たちはすでに凄い時代を生きてますよね。
そしてその生きてる時間は限りがあるものなんですよね。
もしかしたらこれからの医療技術で人生120年とかも不可能ではないんじゃないでしょうか。
もちろん、不老不死まではもう少しかかるとおもいます。
ただ、とりあえず死ぬことは高い確率で確定しています。
そしたら楽しいことや、自分が幸せになれることに時間やエネルギーを使ったほうが良いです。
嫌な人や、嫌な事に時間を費やすより、
自分が楽しいと思えることで生きてたほうが、どうせ死ぬなら良くないですか。
どうせ死ぬというのは、悲しい話ではなく、
コーラやレッドブル、ポテチやケーキ。これらもあと少ししかないって量まで食べて
そして、食べ終わると、ああおいしかったなと。
どうせなくなるんです。
もちろん、増やすことはできます。でも、それらもお店や生産地次第、発送とかも含めて大体限りがあります。
だからこそ、
人生楽しんでいきましょう。そして楽しまなくても、嫌な事とかから逃げて、適当に暮らしてるだけでも悪くないと思います。
嫌な事 → てきとう → 楽しい事
と見たとき、だったら嫌なことより、それ以上に適当に生きるから、楽しいことしてたほうが
遥かにラクだからです。
てなわけで、以上です。
ありがとうございましたー