俺は友達いないけど辛いとはあまり思わない。友達はいれば幸せは増すかもしれないが無理な関係はいらない件。
みんな、友達いる?
友達100人できたかな?
てことで、俺は友達いません。
動画とかツイッターでもそう言ってます。
だからもし俺を友達と思ってくれてる人は、本当ありがとう。
で、本題なんだけど友達いなくても辛いとはあまり思わないという話。
簡単に言うと、友達というのは、概念に過ぎない。
だから、俺視点でいると、とりあえず「知り合い」が多い。
そうすると、行きつけのコンビニ店員さんたちも知り合い。
たまに会いに来てくれる人も、知り合い。
そこらへんにいる人たちも知り合い。
こんなもんでいいんじゃねみたいな。
俺は2019年10月頃にラインアカウントを削除してアプリをインストールした。
現在は、1月1日からまたラインを作成した。
だから、基本的に繋がりが全部消えた。でも対して、何も支障がない。
何故なら、もともと、友達と思うような人がいないから。
要するに大多数で可決しちゃってる世間の認識の友達というのは、
幼稚園、保育園からの繋がり~
とか
小学校、中学校からの~
とか
大学で出会って~
とか。
冷静に考えて、人はそれぞれで出会いがあるわけ。
家庭の事情で、早くから仕事をしている若い子もいれば、
幼稚園から大学まで一貫してそのままエスカレーターの人もいる。
途中でやりたいことが見つかり、今やってることもやめた人もいる。
となると、もはや「友達だから~」ってのは、何か過去執着してるというか、
ただただ、言葉を都合よく使ってるみたいな。
友達だから~、誕生日プレゼントあげなくちゃ~
友達だから~、結婚式呼ばなくちゃ
友達だから~、予定あわせなきゃ
みたいな。
なんだそれ、くちゃくちゃうるせえ。
友達だから。というより、
こいつ好きだから。
この人、なんか悪くないし、
的な緩い感じでよくない?
よくあるのが、同窓会的なやつだ。
あれって、俺はすごいつまらないし、無駄だなと思う。
何故なら、あれって結局、主催者たちがまず濃い繋がりで、そこから
「あいつも、とりあえず、まぁ呼んでおくか」
「とりあえず、数合わせで、こいつも悪くねえな」
的な感じ。
なんというか、マウント好きなんだろうなみたいな。
俺たちイケてるぜ!過去のダチと仲いいぜ!わっさー!調子はどうよ!
みたいな。
ある意味、主催者とその周辺の、昔のスクールカーストをそのまま大人になったまま持ってきちゃうみたいな。
そして、何よりも「今、〇〇してるんだ」的ななんかそういうやつ。
要するに、自分たちの繋がりで、職業自慢みたいな。
俺、今、車乗っててさ~
俺もついにパパよ?パパ。まじで大変だぜ~!充実~!
新築たてたんよ~、おうおう。ローンだよ、大変だぜ~!充実~!
みたいな。
めっちゃ負債だなと思う。
なんか、めっちゃ同窓会とか旧友の繋がりを嫌がってる人のブログ記事みたいでわろた。
しかし、
要するに、そういう事だ。
その繋がりを、大事にするほど価値はあるのか?ってこと。
そんな過去の栄光とかずっと過去の位を保持したい人たちと、過ごしてる時間の余裕はるのかな?ってこと。
全員が全員、そうとは限らないけど、大体はそういう感じがする(イメージ)
友達がいないと、「ぼっちでかわいそう」なんて思われるかもしれないけど、
その分、好きなところに好きな時に行ける。
自分のタイミングで決めれる。
そして何よりも、出会いは無限大なので、一瞬の出会いで人生が変わる確率が高くなる。
過去の付き合いを大事にしすぎると、今や未来の予定や付き合いを増やせなくなる。
価値観とか考えがなかなか変えることができないで、それはそれでしんどくなる。
むしろ、友達が少ないとか、友達がいないという人のほうが、一瞬の出会いを大事にするので、実はめっちゃ学んだり、吸収できるものが多いと思う。
「友達は大事にしようね」
この言葉は、ある意味、定住化とかそういう村社会文化が根付いたからこそのワードだと思う。
だけど、今はもうネットやスマホのおかげでもはや村は人によって違う。
ネットでは、いくつものバーチャル村がある。だけど、それは隣の人を大事にしようってよりかは、
みんなでいろんな出会いや経験、知識をシェアしようっていう感じが強いと思う。
そしてそれだけでなくて、
「私は、このアーティストが好き!」
「俺はこのスポーツの大ファンなんだ!」
「俺はやっぱりあの車がかっこいいと思う」
というように、
自分たちで、似たような価値観や考え、好きな物の共通点を軸にして同じコミュニティに入ることもある。
もはや
「友達を大事にしよう」ってのは、なんの意味があるんだ?
考えや価値観、行動したいこと、やりたいこと、も全部違うのに、それを無理してでもシェアしたり応援したりしないといけない。
まじでだるい。
友達を大事に。ではなく、
「友達とか抜きに、人間は分かり合えない生き物」を前提に
それで好きなことを言うとかなら分かる。
だけど大体は、そんな面倒なことはどうでもいいので、さっさと楽しいことや嬉しいこと、ドキドキする仲間を作って、冒険してるほうがはるかに幸福度が上がると思う。
なんかもはや適当にアウトプットしすぎて、話が意味不明なので、ここまでにしておこう。
友達はいれば、幸せは増すかもしれない。
だけど、それは増すだけであって、根本は自分がどうあるか。これだ。
自分が根本的に幸せを感じれる人なら、もはや友達とかじゃなくて、自分がやりたいようにやってるだけだ。
俺もそれに近い。
読書してるときとか、こうしてブログ書いてるときとか、YouTube見てるときとか、
幸せだし、楽しい。
お菓子食べて、コーヒー飲んでるときも、最高。
そこにどうでもいい人を交えたくない。
しかし、そこにもし幸せそうな人と一緒にお茶が出来たら、尚、幸福度が増すだろう。
友達はいないけど、知り合いがいる。そして職場の人たちとも楽しく話せる。
近所の人たちとも仲良くできる。
ツイッターの人やYouTubeの視聴者さんも優しいから、まじで有難い。
それでいいじゃん。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
みんな、自分の好きなように生きて良いよまじで。
君が、友達いなくても、俺は知り合いでいれるよ。よろしく。