諸行無常マンの変化ブログ

完璧主義者だった人間がモノゴトヒトを捨てたり手放したりして変化した記録

当たり前が当たり前じゃない。そのことだけは確か。

当たり前が当たり前じゃない。

 

これって、体感出来てる人は、実は少ない。

 

「あ、それわかるw」

とかいう人がたまにいるけど、ぼくから言わせてもらうと

 

「たぶん、わかってないな」と思う。

 

なぜなら「わかるw」とかいう人は、現状に対して当たり前のように毎日過ごしているような気がする。

 

いや、気がする。というだけなので本音は知らない。でも言動や行動でだいたい雰囲気って出ると思う。

 

当たり前な毎日に溶け込むと、そもそも感謝だとか有難いこととか、そして自分が何を学んだかが、薄れていく。

 

ぼくは、毎日が「当たり前のようで、明日にはどうなるんだろう」と思考している。

 

だからこそ「今日は最高だなー、有難い」と独り言のようにつぶやく。

 

だって、そうじゃん。

 

今この瞬間は、「当たり前じゃない」から。

 

ぼくは2018年の夏から秋ごろに、気管支喘息により点滴の治療を受けていた。

 

気管支喘息のまえにマイコプラズマ肺炎になったりアデノウィルスによる結膜炎になったりと。とにかく病気のオンパレード。

 

そして点滴をすると、リラックスできた。

 

そして話は端折るが、ぼくは呼吸もできないくらいだった。

 

呼吸できてたあのころ。当時はランニングもしてたし、女の子と遊んだりもしてたのに、

 

呼吸ができない。呼吸しても少ししか酸素を吸えない。

 

そして寝れない。寝ようとしても咳と痰が酷くて寝れない。姿勢も横になると気管が狭くなる感覚で、横になっていられない。

 

熱が出る。だけどリラックスできない。

 

唯一、リラックスできるのは、壁に背中をもたれるくらい。

 

当然、走れもしない。歩くのでさえ、呼吸が必要で歩くだけで苦しい。もちろんそんなとき、異性のことなんて考えても何も興奮しない。

 

唯一望むのは、

 

「呼吸がしたい」。

 

そして点滴のおかげで呼吸ができたり、元気になったりする。点滴はたしかプレドニンという強い薬。

 

そして当たり前じゃないことが起きる。

 

それは、点滴の針が、うまく刺さらなかった。

 

みるみる身体が冷たくなる感覚。なんか腕がズキズキするし、呼吸が荒くなる。

 

「多分、点滴が少し変なところにささったんだろう、大丈夫」なんて我慢してたけど、どんどんボーっとする。

 

最初は「我慢するか」という感じだったけど、

 

気が付けば「やべえ、声がでねえ、苦しい」という感じで看護師さんにも話しかけれない。

 

耳というか脳内で心臓の鼓動が聴こえるあの感覚。

 

頭の中で「死ぬのかな」ってよぎった。

 

「でもまだまだやりたいことあるんだよなぁ」

「生きたい」

 

最後はもう振り絞って、声をかけた。

 

そこからほぼ応答ができなくて、頷いたりしてた。目が閉じていく。

 

あとはもうベッドまで勢いで突っ込んで、そこから点滴を抜いてもらった。

 

で、ようやく天井の明かりが戻ってきた。

 

そしてまた点滴をした。気が付けば時間は経過していて、起きたら点滴は終わってた。1時間2時間の出来事だったかな。

 

言いたいことはなにかというと、

 

「当たり前は、当たり前じゃない」ということ。

 

ぼくは、看護師さんに対してまったくネガティブじゃない。

 

何故ならすでに点滴は毎日のように刺してたので、救われてたから。

 

今回は点滴がうまくいかなかっただけなので、攻めもしないし、イラつきもしない。むしろ救ってくれたことに感謝している。

 

だから、俺は生きてる。

 

その時から、強く生命に焼き付いた。

 

「息ができること、当たり前じゃない」

「歩けること、当たり前じゃない」

と。

 

本当に意識がほぼぶっ飛ぶ状況だったので、強烈な体験となった。

 

これは別に体験しなくていいことだけど、おかげで「いまを生きる」ということがどれだけ大切であり、

 

そしてそれらは当たり前じゃないことを学んだ。

 

だから知人と話をしているのに、

「わかるそれ!今しかねえよな」なんてかっこつけていってくるわりに、

 

ずっと同じ仕事や作業、毎日をすごして愚痴や文句を垂れているのを見ると、

 

「当たり前に、気付けていないんだな」と思う。

 

もちろん、愚痴や文句、現状を変えようと意識をしてない人とは距離置く。

 

なぜなら、自分もそこで後ろ髪を引っ張られるから。

 

これは別に、かっこつけた話じゃなくて、そういう風に命とか人生とか生命とかを意識してる。

 

当たり前じゃないからこそ、ぼくは、今を生きている。

 

できることは、ちょっとずつでもやっていく。

 

当たり前じゃないというのは、諸行無常ということ。

 

諸行無常というのは、変化ということ。

 

だから、当たり前が当たり前じゃないし、逆を言えば、ありえない幸福とも出会えるし、そのまた逆もあるわけだ。

 

だからこそそれを体験しまくるしかない。

 

生きてるだけで、凄いことじゃん。って思う。

 

でも読書や情報収集しない人は、いつまでも現状に文句を言う。

そして人に対して厳しい。

 

どんだけハードル高いんだろ。

 

3食食えて、布団で寝られて、太陽をしたで散歩できてスマホで世界と情報と繋がれる。

 

これだけで凄いよな。

 

なのに、それのありがたさも知らず、そしてそれを使わず、そして情報を集めず、今の目の前に映ってることしか信じれない。

 

なんてことだ。

 

何度も言う。

 

既に、あなたにとって当たり前だとおもってる世界 とは別に

 

すごい世界がネットワークには存在している。

 

 

話が若干それたが、つまりは、

 

今こうして歩けてpc入力できて運動できて日々、飯を食えて、朝起きれて、水をガブガブ飲めて、お風呂につかれて、歯ブラシで歯を磨けて、布団でダイノジで寝れる。

そしてスマホを見れる目があって、触れる指がある。

 

どんだけすげえんだよ。

 

ありがてえ。

 

って話。

 

ありがとうございました。

 

あなたも生きてるだけ、素晴らしいよ。

 

こんな記事を読んでくれてありがとうございました。