諸行無常マンの変化ブログ

完璧主義者だった人間がモノゴトヒトを捨てたり手放したりして変化した記録

未来のことを考えても無駄なので、今やりたい事とか楽しいことだけ考えて良いよ。【結論:諸行無常】

年末までに~〇〇を達成する。

 

6か月後には、こういう事出来てたら嬉しいな。

 

こういう未来の話は無駄です。

 

いや、無駄じゃないかも。ワクワクすることならOKかも。

 

あ、でも無駄かも。

 

何故なら、未来は来るかもしれないし、来ないかもしれないからです。

 

こういう事を書くと、

 

「どんないかれた頭してんだ」

「バカすぎん?」

「病院いこう」

 

となります。

 

だけど、実際、そうじゃない?未来って自分の狙った通りにいく?

風邪ひいたり、アイテムを紛失したり、自転車がパンクしたり、車がパクられたり、スマホを落としたり、有名人の誰かが亡くなったり。

 

これって、現実世界でリアルに起きてること。

 

みんな他人事かもしれないけど、正直、生きてる限り、リスクは必ずある。

 

話がそれたから戻すけど。

 

要するに未来って、正直考えても無駄なのよ。

 

だって5Gとか今春からきちゃうのよ?さらには6Gとかもそのうち配信されるかもしれない。

 

既にAIやテクノロジーの進化により、人間がやらずとも、動いて働いて作業してくれて手伝ってくれたりするオートなメカニックが存在している。

 

車なんてそうじゃないか。

自動運転パイロットだっけ?ベンツとかBMWとかAudiとかそういう類の外国の車も自動走行はすでに数年前から搭載されているよね。

 

これと未来は関係あるのか?

 

ありまくりです。

 

昔なら「車を購入するのが俺の夢!」というのが流行だった気がします。

みんな頑張って一括で購入したりするというステータス。

 

個人的に車はかっこいいので、否定的な話はしないけど。

 

でも、今って車って、どうしてる?

メルカリとかジモティーとかそれこそ中古ショップにたくさんカッコイイのとか装備が豊富な車体とか置かれてる。

 

こんな未来、数十年前の人からしたら奇跡だよね。

 

そして、更にそれらはシャエリングエコノミーにより、購入はできないけど、乗れるようになった。

 

そう、車を購入するとなると、車庫や駐車場の所有だったり、借りたり、騒音問題とか、ローンだとか、いろいろ問題があるよね。

 

だけどカーシェアなら、とりあえず1日とか半日でも使用できるので、基本的にいろいろな面倒な要素を考えずに乗ることが出来る。

 

それが、更にいまのテクノロジーの進化により、数年後にはオートで街中を走行する車が急増するようだ。

 

どういうことか?

 

要するに無人の車がそこらへんを走ってる。ということ。

 

「え、こわ、やばい」となる。だけど、それは今だから。今、トライアンドエラーを繰り返してるはず。

 

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で、無人車が街中にいると、それを、タクシーみたいに乗れたりする。

タクシーのおっちゃんはいないけど、タクシーみたいに目的地へ連れていってくれる。

 

てことで本題に戻す。

 

これらはある意味、文明や進化の話。そして現実の話。

 

つまり、自分が思い描いてる夢とか未来の構想なんて、しょうじき、あんまり意味がない。

 

すぐに叶えることができるかもしれないし、もしかしたらその関係するものが衰退するかも。

 

キップに穴をあける人がいたけど、

それが自動改札機のおかげで、その人(職種)は消えた。

キップは今もあるけど、それが今ではsuicaやPasmo、スマホのおかげでキップを買う人が減った。

 

もうわけわかんないんだよね。

 

未来のことを考えても、どんどん進化していく。

 

そして、結論としては諸行無常なんだよね。

 

花も木も、カーテンも、森も、道路も、家も、鉄も、ケータイもpcも、人間もアリも。

それひとつとして、変化していないものはない。

 

雨のなかに、バイクとか車とか自転車とか放置してたら、一見何も変化はないけど、それはやがて錆が出てくる。

 

花も水をあげずに放置してたら、数日間は様子は変わらないけど、気が付けば枯れている。

 

木も秋とか冬になると一斉に伐採されるのに、春とか夏になると芽が出たり、花を咲かせたり、緑の葉っぱがたくさんついている。

 

もう意味わからないよね。

 

 

つまり、当たり前が当たり前じゃない。

 

だから、未来のことを考えて、「計算」しても、実はすごい無駄。

 

明日には、その計算以上な結果や成果、出会いがあるかもしれない。

それはそれで嬉しいし、そしたら現状を変えないいけないかもしれない。

 

逆にいえば、「計算」したところまでジワジワ近づいてたのに、予期せぬ事故、予期せぬトラブルに巻き込まれて、計算通りいかなかった。

むしろ以前よりもマイナスになった。とか。

 

これは悲しい話じゃないんだよ。

 

つまりは逆のことも起こりえる。

 

ずっとマイナスだったのに、いきなりプラスな最高な人生とか。

 

てな感じ。

 

だから俺は、今を生きてるし、今を生きれるように意識してる。

 

少し気を緩めちゃうときはある。そうすると大体、過去の嫌な思い出とか、未来の不安とか浮かぶ。

 

これは気持ちは分からなくてもないが、クッソ無駄だ。

 

だって、もう戻れない。そして未来の不安は起こらない確率が高い。

 

だから好きに生きてたほうが良い。

 

好きというと、なんかヤンチャしたりパリピになろうってことじゃあない。

 

自分が今、やりたいように生きてたり、必死にもがいたりとか、適当にしてみたりとか、寝てもいいし。

 

だって未来は意味不明だもん。

 

天気予報と同じで、あくまで予報。未来も予報。

 

明日は雪と言われてても、全然雪が降らないことがある。それと似てるかもね。

 

そしてコロコロ天気は変わる。ずっと晴れてる日もあれば、ずっと雨の日もある。

だけどまた天気は変わるし、季節は変わる。

 

だからね、未来のこと考えて、自分を小さい枠に収めなくていいよ。

 

いま生きてることが素晴らしい。飯が食えて風呂に入れて朝起きれて、夜寝れる。

 

これをやってるだけなんだけど、たぶんバカな人たちは

 

「おい!だらしねえぞ!」

「そんなの当たり前じゃああん」

「もっと本気になれよ!」

 

なんて取り立て屋のように迫ってくる。

 

そしたら、逃げよう。

 

だって、何がだらしないんだ?何が本気なんだ?何が当たり前なんだ?

 

今、コロナウイルスが蔓延する前兆だよね。これが現実世界だ。これが2020の今の日本や世界の現状だ。

 

これの中で「本気で働け!」とか「だらしない!」なんて言われたら、どう思う?

 

「え、命は一個なので、自己防衛したほうがよくないすか?」

「自ら感染して苦しむんすか?どMっすね」

「本気で働くとか言ってるけど、会社に雇用されてる限りは上限があるよね」

なんて思う。

 

もし自分がアーティストや社長であれば、本気で働くと、自分の知能や営業力で影響力や経済力が増える確率がグンと上がるが、

 

雇用されてる状態だと、確かに信用は増すかもしれないが、基本的にはただの無駄な労力というか。費用対効果つまりコスパで考えるとしんどいかも。

 

そしてだらしないってのは、逆にとらえると「ゆっくり休めていいな!」じゃない?

だらしないのがいけないなら、みんな多分休憩もできないし、睡眠もとれないし、リクライニングチェアとか使用不可になる。

だらしなさってのは、ある意味、良い意味でゆとりがあって素敵な事だと思う。

 

とまぁ、いろいろと述べてきたけど、

 

つまりは未来のことを考えても、どうせ未来はきます。

どうせまた新しいスマモ出るし、新しい洋服とかpcとか家とか価値観も出てきます。

 

だから未来のことを考えなくていい。そのうちまた良いところは取り入れていけばいい。

 

僕はいま、未来を考えずに、過去の事も考えずに、いまこうしてブログを書いています。

 

これも未来のことを意識しないで、書いています。

 

なぜなら、今に没頭してるからです。これがある意味、良い時間つぶしだと思う。

 

没頭できることを、とにかくやる。楽しいこととかやりたいことをやる。

 

そうすると、大体、楽しいし、気が付けば時間が経過して疲れてる。そして寝る。

 

いいじゃん。

 

それでもし俺のブログを見てくれてる人がいて、共感とか逆にふざけんなみたいな思ってくれた人がいるとする。

 

そうやって反応してくれて嬉しい。見てくれたんだね。ありがとうございます。

となる。

 

これは未来の話なので、知りません。

 

だから、そんなのは知らない。

 

だから、自分は没頭して記事をただただ書いていくよ。

 

見てくれてありがとうございました。

 

共に、適当に生きよう。