諸行無常マンの変化ブログ

完璧主義者だった人間がモノゴトヒトを捨てたり手放したりして変化した記録

責めることはない

自分を責めることはない。

 

ありのままでいい。

 

自分が気が向いたら動きな。

 

自分が楽しいこと、ワクワクすること、ドキドキすること、興奮すること

 

それが見つかって、それをやりたくなったら、それをやろう。

 

見つからないなら、無理に見つけなくてもいい。

 

今の時代、ITとテクノロジーが進化して、本当に1日1日ごとに、

 

大変、世界は変わり続けている。

 

というよりも、そういう変化が可視化されただけでもある。

 

つまりは昔はネットとかもなかったので、100km先の人の状況なんて

 

手紙とかある事件でようやく取り上げられたニュースとかで

 

「あー100km先の人は、こういう事になってるのかあ」みたいな意識をするけど、

 

今はスマホでアプリのボタンをサッと押すだけで、

 

地球の裏側や、はたまた宇宙のことや、そして海の底の話や、海外の作業現場映像

 

等々が情報として入手できる時代だ。

 

だがしかし、それといって、それを見ても、俺たちは何も変わらない。

 

細かく言うと、「情報をゲットした俺」がいるのかもしれない。

 

しかし、それを使わなければ、それはただの空気であり景色だ。

 

だから、

 

焦らなくてもいい。

 

自分が目の前の、今この瞬間を楽しめるかどうかだろ。

 

自分で自分を責めても、それは、誰にも影響しないし、誰にも興味のないことだ。

 

自分で自分を責めてる間、人々は、スマホやPCを使って

 

楽しい作業や、楽しい映像、楽しいマンガ、読書、コミュニケーションをとっている。

 

そうであるなら、

 

自分を責めてる時間は、しなくてもいいのかも。

 

自分が苦しくて動けなくて、もう何もしたくない。

 

そういうときは、家の状況にもよるだろうが、

 

そういうときは、ゆっくり過ごしてもいいんじゃないんだろうか。

 

誰も責めやしない。

 

確かに細かい話をすると、

 

自分がボケーっとしてる間、ほかのだれかは

 

やりたいこと

ワクワクすること

ドキドキすること

 

もしくは、逆境にあらがって、凄まじい努力をしたり訓練を積んでるかもしれない。

 

だからって、

 

「自分はあの人のように努力してない、だめな人間だ」とは思わなくても良いと思う。

 

もちろん、努力や、訓練、そして挑戦をすることで、更に自分を磨くことは可能だし、

 

それで力がついたり、お金が増えるなら、それは更に人生を楽しめるだろう。

 

ただ、無理して苦しくて動けなくなるまでやって、最後に動けなかったら

 

それは果たして意味があるのだろうか。

 

悔いが無ければいい。

 

なので、ほかの人々のことは一旦置いといて、

 

自分が好きなことを、自分の本音、自分の今求めてることを、やってみていいと思う。

 

俺はいま、pcでブログを書いている。

 

そして、お金がない。そして、家を出たい。しかし、今日いま働きたいと思わない。

 

だから、とにかくブログを書いてる。

 

これが価値あるのか、そして価値になるのか知らない。

 

でも、こうして考えや思いをココに具現化させることが、嫌いじゃないし、

 

脳のトレーニングになってる。もちろん、メンタルにも。

 

これが終わったらベットでゴロゴロしてyoutube見ててもいいかも。

 

ある意味、もうメンタルがそういうとこにあると、もはや

 

「今から10時間働いて、13000円の日給をゲットしよう!」ってのは、

 

凄い大変な話だ。

 

実際には、出来る人は余裕でできるひとがいる。本当に。

 

タイミングって、実はたくさんあるんだ。

 

変な話、いまブログを書き終えて、散歩してたら、いきなりやる気が出るときもある。

 

そしたら、その勢いを殺さずに挑めばいい。

 

でも、今この瞬間、俺は

 

「ああー、コーヒー飲んでブログ書いてるの、いいな」と思ってる。

 

もはや今この瞬間だけは、高級車とか美女とか最新のスマホ、高級リゾートのことは

 

全くヴィジョンが浮かばない。

 

でも、それはそれで悪くない。

 

それは、「今ここ」を見てるから。

 

お腹が減った→ご飯にくらいつく

ねむたい→ベッドに飛び込む

むらむらする→女性に抱き着く

べたべたして嫌→シャワー浴びる

 

の様な感じ。

 

この作業に没頭してる間ってのは、少なくとも大半はそのことしか考えていない。

 

「お腹が減ってペコペコで早く水飲んで潤して、ハンバーガー食べたい」という

 

めちゃめちゃ腹ペコ状態なら、ハンバーガー出てきたら食らいつくと思う。

 

それのように、とにかく本能に任せるのって、実は自分を解放してあげれる大事な要素なのかも。

 

もちろん、格闘技の選手で減量の時期ならそれはできないけど、そういう話ではなくて。

 

「うんこがしたい」ってなったら、まずやりたいことが

 

「トイレに行きたい」ってなるはず。

 

そんな感じで生き良ければいいと思う。

 

自分が今なにもしたくない状況で、それで追い出されないような状況なら、それに乗っかるのも悪くないと思う。

 

それでそのうち「ああ、俺はここで終わりたくない。車に乗りたい」って思うようならば、

 

なんとかして働いてお金を稼いで、それで車を購入して走り回ればいい。

 

そういう風にシンプルに直感的に、自分を動かしてあげれるともしかしたらラクなのかもね。

 

ついついSNSやニュースとかで、

 

「○○という仕事で、100万を稼ぎました」

「○○は良い働き方です。ほか仕事は考えれない。」

 

みたいな仕事とかお金にフォーカスしたような記事を見て、

 

「ああ、おれの仕事はココがダメで、ココがうざくて。。。」

「いいなぁ、この〇〇会社は。幸せだろうなあ」

 

って思ったりしてしまうと思う。

 

そうやって本当は比べることはないのに、ついつい比べてしまう。

 

本当はそういう記事とかもそうだけど、基本的には

 

「良いところ」

「魅力があるところ」

「キラキラしてる部分」

 

がフォーカスされるし、そういうところが他社とか他とは違う良いポイントだと思う。

 

だから記事にされる。

 

ただ、それだけではないと思う。

 

やはりその裏側では、たくさんの人が汗をたらしたり、時には上手くいかずに泣いたり、

 

それこそ人間関係があるから、いろいろ何かしらあると思う。

 

だから、他社や他者と比べても、本当はそれは、あまり意味がないのかも。

 

もちろん、さすがに、見極める能力は大事だ。

 

「自分は10時間労働なのに、5000円しかもらえない」とかだったら、確実に会社を変えたり、労働基準法を無視してるかもしれないと見極めて、次の行動を移すのは意味がある。

 

てな感じだ。

 

つまりは、自分を責めることはないと思う。

 

自分が今、熱中してること、没頭してることがあれば、それにたくさん時間やお金を投資できるのが一番かも。

 

タイミングってのは、自分で作れることもあれば、そのうち合うってのもある。

 

自分が眠たいなら、寝てもいい。

 

自分がダラダラしたいなら、それでいい。

 

結局は自分が感じたままだ。

 

「ダラダラしてる自分、嫌なんだよなあ」

なんで?

「だってもっと行動すれば、出会いがあるし、自分を高められる」

じゃあなんでダラダラしてるの?

「いや特に意味はない。いまダラダラしてる時間、一人に会えるんだけどなあ」

じゃあスタンディングデスクにしたり、運動をしたりしてみたら?

「よしやってみよう」

 

後日

「前よりダラダラが減って、更に人に会えるようになった!」

 

こういう感じで、向上したいけどダラダラしたい人もいれば、

 

「ダラダラしてるなあ」

なんで?

「いや、やることないし。ダラダラ好きなんだよね」

なるほど

「ダラダラしてると体力温存できるから、これから1人の人に会うけど、それで楽しめるじゃん」

なるほど。

 

みたいな感じで、うまく使ってる人もいる。

 

つまりは、本当に人それぞれの人生だなと。

 

別にどちらも損はしていない。

 

だから、なんか、世間や世界は変化につぐ変化だけれども、

 

それはそれで。

 

自分は自分で必要な情報はキャッチして、それで自分らしく行動したり生活できていれば、それでいいと思う。

 

だから、人と比べなくていいよ。

 

昨日の自分とか、昨年の自分と比べよう。

 

てなわけで、本日の記事は以上です。

 

ここまで読んでくれた勇者がいたら、まじでありがとうございます。

 

感謝申し上げます。

 

またお時間ある時にでも気軽に読みに来ていただけたら幸いです。

 

では、また!

 

さらば!