諸行無常マンの変化ブログ

完璧主義者だった人間がモノゴトヒトを捨てたり手放したりして変化した記録

「無理すんなよ!」って言葉は刺さらない

どうも適当人間です。

 

多分、お仕事されてる人とかって友達や上司や家族や彼女に

 

「無理しないでね」って言われることあると思います。

 

嬉しいよね。

 

でも、実際のところは「いやぁ、でも無理しないと生きていけないんだよなぁ」

 

ってなることないですか?

 

だから、俺はもう無理もしてないし、自分らしく生きています。

 

どういうこと?

 

俺はもう人にそうやっていうときは

 

「え?睡眠は?食事は?」みたいな感じで少し具体的に聞いてから

 

「いやぁ、それは無理しすぎでしょ。もっと楽してもいいと思う」って言います。

 

楽してもいい

ムリするな

 

少し似てるけど、違いますよね。

 

なんか、肯定文と否定文なのかなー?って勝手に思ってます(笑)

 

所謂、伝え方ってやつすね。

 

「楽してもいい」

これだと、そういう「手段」もあるんだなと気づくことが出来る。

「あ!俺はご飯も掃除も仕事も全部、一人でしてた!そうか!ラクしてもいいんだ!だからご飯は朝だけ自分でやって、あとは外食にしよう!」って、いろいろ考え方とか方法とか、否定せずに肯定的に、選択できる・

 

一方で

「ムリするなー」

これだと、「頑張ってる俺、否定されてる!?」って思う人も少なからずいる。

「俺、無理して頑張ってるようにみえるの!?」

「俺には無理(だめ)なのかな?」

「無理するなとは言われても、今無理なんですけど、、、」

「無理しちゃいけないって、思うほど、なぜか無理をしちゃう」

 

こういう心理的な作用って、あると思います。

 

まぁ、いうて、言葉とか受け止め方とかは人それぞれだから、何とも言えませんが、僕個人としては、こういう風に思うことが多々あります。

 

これと似たような現象がありまして、

 

それはコンビニのトイレの注意書きです。

 

「これは皆のトイレです!汚さないでください!」

 

「いつも綺麗にご利用頂きありがとうございます。」

 

自分は特に意識してるわけではないですが、こういう細かいようでニュアンスが違うだけで、トイレの綺麗さって全然違います。

 

こういう「汚さないでください!」ってのは、何もしてないのに否定されている。

だから、利用者が意味不明にストレス溜まったりしてるし、たばことかも捨ててあるし、普通に便器が汚されていたりする。

 

逆に「いつも綺麗に使用してくれてありがとうございます。」って書いてあると、何もしてないのに「褒められてる」「肯定されている」

つまり、「ああ、このトイレが綺麗なのは、自分も含めてほかの人たちも綺麗にしてるんだなぁ、少し俺のせいで汚れたら拭いて帰ろう」っていう前向きな姿勢になります。

 

言葉って不思議ですね。

 

目指してるところは「綺麗に保ちたい」っていうところなのに、

一言、ニュアンスやフレーズが違うだけで、

それを見た人の気持ちや行動が変わるってのは、不思議だし、力があるなと感じます。

 

ですので、

「無理すんな!」って、言うなら

「無理しすぎじゃね?もっとラクでも良いと思うぞ」とか

「それはキツいね。少し楽な方法探してみてもいいんじゃないかな」とかって、

言ってあげると、受け取る側も嬉しいんじゃないかな?

 

ってことで、こんなブログですが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

また気軽に見に来てくださいー!

 

では!